何もできない

ことに気づいたのは少し前。

 

炊事、洗濯、料理

 

どれか一つでも「こなしたことがある」とは言えず

むしろ眺めているか手伝うかもしくは見ないふりをするか

 

で良いと思っていた。

 

唐突に、死にたくなった日があった。

だいたいこの時はやり残したことはないか共や家族に感謝の言葉を残したか行きたいところにはもう行ったか(まさにゴールデンボンバーの広がる世界)など考えては踏みとどまったいた

 

「基本3労働がそもそもできているのか」

「もっと言えばそれすらできぬまま人生を畳むのか」

 

そう思った。

なんでか思った。

 

答えは

 

あ…できないや…

 

そんな時に見た番組で、山奥で質素に暮らすかなりの老齢の方が家事全般全てをこなし、生きることを楽しいと言っていた。しかも暮らしの楽しみはお酒だけだと。

 

私はどうだろう。

 

あれやこれやと欲のまま手を出し

不満ばかりを目立たせては働き

あるもの全ては当然にある

 

なんかもう、なんかもう、自分は何言ってるんだろうと思った。

死にたいと思う理由と、死にたくなくなった理由といっぺんに気づいてしまった。

 

私は「生きるってなんだろう」って探していたんだと。

 

もうなんて言おうかわからない。

ただ、上の推敲なしでいっぺんに書いたできごとがきっかけで生きようと思った。

 

自分にできることをひとつでも身につけたい。

 

そう思えたのは、あるテレビがきっかけだったーの話はまた次回に